CRプログラム備忘録

経験談・インタビューやコミックエッセイで綴るCRプログラム

CRプログラム卒業後の私の仕事《2018年1月27日追記》

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<更新日:2017年11月27日>

「海外のでディズニーで働きたいなあ」

「アメリカで働いてみたいなあ」

そう思いながらこのブログに行き着いたり、暇つぶしに読まれている皆様。

 

こんにちは、花枝です。

 

今日は私がアメリカのディズニーで働ける”CRプログラム”を経て、CRプログラム卒業後帰国して何をやっているのか?というところを書きます。

 

現在進行形でCRプログラム中の方。

渡米前の準備をしている方。

「CRプログラムに合格してディズニーで働きたいなー」と考え中の方。

 

先に言っておきます。

私のCRプログラム卒業後の進路は全く参考になりません。

 

もう一度言います。全く参考にならないと思います。

 

…ふう、大事なことなので二回言いました。

 

じゃあなんで書いたんだよ!って話ですけれど

「ああ、こういう人もいるんだなあ…」

程度にご覧いただけると幸いかなと思い、書くことにしました。

結構長くなりますが、最後までお付き合いいただけるととても嬉しいです。

結論:渡米前のお仕事に戻っています

もう、いきなり結論でごめんなさい。

私は渡米前の仕事に戻っています。

 

これだけじゃ一行で終わってしまうので、もう少し詳しく話します。

CRプログラムで得られた経験を”なんとなーく”生かして、渡米前より”少ーしだけ”国際的に仕事をしています!

”なんとなーく”とか”少ーし”とかゆるゆるな言葉ばかりで、全く要領を得ません。

 

渡米前の仕事:三味線演奏・指導家

「CRの経験を生かして国際的に」

とかなんとか言っておりますが、 そもそも私の渡米前の仕事は「三味線の演奏家」であり「三味線の指導家」です。

 

例えば人生の中で”2〜3年間”といったわずかな期間その仕事をしていた訳ではなく、ずーーーっと”その仕事”なんです。

 

それぐらいずっとなのかというと…高校卒業後からずっと三味線しかやっていません。

 

早い話が、私は”非正規雇用”どころか、それよりも頼りない”自営業”です。

料亭で三味線演奏の仕事もしていましたけど、アルバイトですしね。

そもそも私、人生の中で正社員になったことすらありません。

 

「ボーナス?ナニソレオイシイノ?」

という環境でずっと生きてます。(し、今もそうです。)

 

そもそも三味線の演奏家って何する仕事?

「三味線の演奏…指導…?!ぐ、具体的に何をしているのだ?!」

と疑問に思われる方がほとんどだと思います。

 

具体的にどうやって仕事にしているかというと、大きく分けて二種類あります。

  1. 演奏
  2. 指導

このどちらかでお金を得て仕事としています。

 

演奏だとイベントなどに個人で呼ばれて三味線の演奏をしたり、バンドメンバーとして演奏したり、レコーディングで音源提供したりしています。

指導の方ですと、弟子を取って三味線教室を開いています。

時と場合により、小学校や高校、県関連の公的な教育機関でも教えています。

 

この仕事はいわゆるフリーランスなので、定年も残業もないです。

その代わり固定給はありませんし、有給もボーナスもありません。

スケジュールの管理も自分でしますし、身体の管理も自分でします。

 

実は帰国後のことを考えると「怖かった」

話をCRプログラムで働いていた頃…それも帰国寸前の頃に戻します。

 

CRプログラムで働くのも終わりに近づいた頃、私は

「まだ日本に帰りたくないなあ…。」

と思っていました。

それはなぜかというと、やはりアメリカでの生活やCRプログラムでの仕事が大好きだったからです。

 

普段の仕事が大好きな上に、余暇時間に三味線も教えれていて、演奏でも喜んでもらえている…

当時私は「このままアメリカに住めたらいいな…」とまで考えていました。

 

今思えばそれもそれで大変ですし、実際アメリカに長く住まれているお弟子さんに話を聞いても

「いや〜先生、アメリカに住むのも大変よ!日本がいいわよ!」

と仰っていました。 

大変なのは分かっているけど、永住権やグリーンカードのことを調べたり、弁護士を通じてグリーンカードを取得した知り合いに話を聞いたりしました。

そして、実際にアメリカでの永住権が取れたら仕事はあるのか?ということを雇用主に聞いたりしていました。(実際、オーランドでの仕事はありました。)

 

…ですが、結局具体的な手立てがないまま帰る時が来てしまい、ニューオーリンズからラスベガス経由で日本に帰りました。

 

日本に帰ったらまた息苦しい世界が待っている?

「アメリカでの仕事や生活が楽しかったから」

という、表向きはポジティブそうに見える理由ですが、その裏ではネガティブな理由もありました。

それは

「日本に帰ると…また伝統芸能の息苦しい世界に戻らなくちゃいけないのか…!」

ということでした。

 

日本の伝統芸能の世界…

というよりも、日本で就職すれば様々な業種にあることなのかもしれませんが、日本にはまだまだ保守的な考えが残っています。

 

もちろん一概に保守的だとは言えません。

ですが、例えば新しいことを始めようとするとさりげなく反対されたり、自分を押し殺す場面が多いと思います。*1

 

私はそんな厳しい伝統芸能の世界でも割と自由にいろいろやっていた方だと思いますし、やらせてもらっていたと思います。

それでも、師匠や先輩との人間関係や、何より自分と三味線の”程よい距離感”のようなものが掴めなくて、とても悩んでいた時期があります。

  

やりたいことをやるのは”業”みたいなもの

色々な方から

「花枝さんは三味線をやっているし、自分のやりたいことがあるから、いいじゃない!」

「やりたいことがあって、あなたは恵まれているよ!」

と言われます。(いや、これに関してはまったくその通りだと思います。)

 

「三味線」という分かりやすい人生の指標があるので、すごく贅沢な悩みのように聞こえるかもしれませんが…。

私は三味線が嫌で嫌でしょうがなかった時期もあります。

というか、嫌だと感じていた時期の方が圧倒的に長かったと思います。

 

自分自身が大学を出ていないことや、就職活動や一般の仕事を経験したことがないことも大きなコンプレックスだったと思います。

 

「なんで自分はこれ(三味線)しか戦えるものがないんだろう…。」

「こんなことなら適当な大学とか行って”大卒”という肩書きぐらい取れば良かった…。」

と、ずっと感じていました。

でも、三味線を辞められない。

 

もうここまでくると、三味線ってもしかしたら”自分の業のようなもの”なのかもしれないな…と思います。

 

意地で続けているわけではないですし、やめたきゃ辞めればいいとも思います。でも出来ないなって思う。

すごく分かりやすい理解を自分の中でするとするなら、三味線をやり続けることは私の”業”のようなものだと思いました。

 

嫌な面もあるけれど、いい面もある。

それがないと自分が自分でないような気がするし、今日までの自分はそれが創りあげてくれたような…いつでも近くにあったようなもの。

そういったものが、おそらく多かれ少なかれ誰にもあるのだと思います。

 

それが私の場合三味線だった、三味線だったと気づいたのかもしれません。

 

”自分の業”との正しい付き合い方

自分の”業”と長く楽しく付き合おうと思うと、何より大切なのは距離感だと思います。

(”業”と楽しく付き合うって、変な言い方ですけどね…)

 

帰国を間近に控え、私の中には漠然と

「できるかどうかわからないし、具体的な手立てもわからない。でも、私は三味線を長く続けたい。

それに、CRプログラムを経た今なら、もっと三味線と上手に付き合えるかもしれない…。」

という、目標とわずかな希望のようなものがありました。

 

それをするためには、頑張り過ぎても長く続かない(実際一度それで潰れていますし)、サボりすぎない程度に自分が飽きない程度に続ける必要があります。

そうするにはどうしたらいいだろうか?と考えました。

 

私の出した答えは「演奏と指導だけで三味線に向き合わない」ということでした。

例えば今書いているようにブログで文章に起こすこと、絵を描くこと、三味線を通じて誰かとコミュニケーションをとること…

 

”演奏”と”指導”は大切な三味線の柱ですが、それだけだとどうしても自分を追い込んでしまいます。

(皆さんも何かしら仕事をしていると、どうしても視野が狭くなって自分を追い込んでしまうこともあると思います。)

 

でも、私はこう思います。

もっといろいろな選択肢があってもいいし、ないのならば選択肢を作ってもいい。

 

三味線だ毛に限った話ではなく、何事も長く続けたり楽しく付き合うためには、何よりも「自分が快適かどうか」が最優先だと知ったからです。

 

自分を大切にできるかどうか?

もっと平たく言うと、”自分を大切にできる手段”を考えました。

 

自分を大切にしないと「仕事」も「他人」も大切にできない。

それは仕事に限らず、人生を生きていくためにも必要な心得なのではないかと今は思います。

 

そして「自分自身で考えて、答えを見つける」ことも大切なことです。

私がやろうとしていることには「答え」がありません。正しいやり方も存在しません。

 

それは「自分で考えること」「自分で失敗してもいいから、やってみること」でしか答えを見つけられないし、答えを記していけないんだと思います。

 

自分を受け入れる必要があった

そのように、自分で納得して三味線の道に進むには、まずやはり自分を受け入れるということも大切な工程の一つだったと思います。

 

出来ないことを嘆くよりも、出来ることを伸ばしていった方がいい。

そういうシンプルなことを、自分自身の挑戦や体当たりから学んでいけたと思います。

もちろん、今もその挑戦の途中であることには変わりないのですけれど(^^;

 

CRプログラムで働いていた経験、いえ、それよりももっと前に出会ったこと、色々な経験や知り合った人、読んだ漫画や本、映画、ドラマ…

その様々な要因や出来事が最終的な結論をこう出してくれました。

「やりたいようにやってみよう!誰も見ていないし!!」 

 

間違いや失敗を恐れて動かない・何もしないことの方がもっと怖い。

それに

「誰も自分のことなど気にしていない」

そう考えると、様々な可能性の道が目の前に広がっていくような気がしました。

 

渡米前と渡米後で変わったこと 

CRプログラムは私にとって非常に大きなきっかけだったと思います。

 

人生の中で一年間も海外に出るのは初めてのことでしたし、素敵な同僚や友人に囲まれて過ごした日々のなかで、少しづつ自分の三味線活動に自信が持てるようになったことは間違いありません。

身にあまるほど大きな経験を積ませてもらえたこともありますし、三味線ばかりだった私の人生が無駄ではなかったのだと思えた経験は何事にも代え難いものでした。

 

CRプログラム期間中、目に見えて伸びたスキルは「寿司を上手に作ること」です。(ポジションが寿司シェフだったので)

英語に関しては、残念ながら今なお落第点です。

ただ、それ以上に

  • 色々なことに挑戦する勇気
  • 失敗しても立ち上がれる強さ

この二つが得られたことは最も大きな成果だったと思います。

 

帰国後の仕事と活動

帰国後の活動は、文字に直すと”三味線の演奏と指導”なのですが

  • 海外クルーズ船入港の際の歓迎演奏
  • 国際交流事業での三味線演奏
  • 海外観光客への三味線体験指導
  • 日本文化紹介イベントでの演奏(ドイツ)
  • オーランドでの三味線演奏

などなど、身に余るようなやりがいのある仕事もさせてもらっています。

 

★海外クルーズ船入港の際の歓迎演奏

海外クルーズ寄港の演奏は、時期的にもマッチしていたという特需はありました。

ですが、少しでも仕事で英語が使える環境というのは本当にありがたい限りです。

 

ちなみに、こんな感じで演奏しています。

www.hanae-chiritote.com

 

★日本文化紹介イベントでの演奏(ドイツ)

ドイツでの演奏は、帰国後初めて経験させてもらえた海外での仕事です。

2017年5〜6月はドイツのハンブルクに滞在しています。

 

在ハンブルク日本総領事館からの招待でこのようなイベントで演奏させていただきました。

 

www.hanae-chiritote.com

 

2017年6月には、日独文化交流イベントにも出演させて頂きます。

Magnology 2017

ちょっとフランスのJAPAN EXPOに似ている感じのイベントです。

 

おそらくCRプログラムに行く前は考えもしなかった仕事だったと思いますし、このようにフットワーク軽く挑戦もできなかったんじゃないかと思います。

 

オーランドでも三味線を演奏できました

 そして嬉しかったのはこれ!

www.hanae-cr.com

 オーランドの補習校(日本語学校のようなところ)で三味線演奏の機会をいただけたことです。

三味線奏者としてオーランドに帰って来られるなんて。これは嬉しかった…!

 

今も自分の”業”と向き合っているし、今もあがいています

ただ一つ申し上げたいのは、どの仕事も

「自分でやり遂げた!」

というほど立派なものでもなく、人の紹介や知り合った人のご厚意で演奏させていただいたものがほとんどです。あとは「ダメもと」の積み重ねです。

 

たまたまポジションに空きがあったからできたり、「やってみたいんですけどどうでしょう?」と提案したらやらせてもらえたものだったりです。

そんなわけで、いつまでできるのかは保証されていない、先のことは全く分からないのが難点です(笑)

 

それでも今現在、やっと…やっと楽しく三味線と向き合えているのは、CRプログラムを経て、”自分の選択肢に納得”できているからではないのかと思います。

私は自分の”業”の落とし所を見定めて、今もなお、あがいている最中なんだと思います。

 

やりたいように生きればいいと思う

最近、CRプログラム時代の後輩と話しました。

「私ももうオバさんですよ!これから先、どうしようって考えています。」

…そう言う彼女は、まだ26歳です。

 

年齢のことも過去記事に書いたので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、現時点で私は30を超えています。

26歳でオバさんなら、30を超えたらなんなのでしょうか?おばあさんかよ?!(><

冗談じゃありません。

 

 私自身もそうだったので痛いほど良くわかるのですが…

みなさん、30歳になるのって怖いですか?歳を重ねるのって、怖いことですか?

20代の後半になるとよく分からないけれど”焦り”を感じますか?

  

これはあくまで私の考えなのですが…

結局自分の人生ですから自分で道を決めなくてはいけないものです。

「育ててくれた親の期待に応えたい」

とか

「周りに比べて自分はだめだ…」

と、もしかしたら思うかもしれません。

 

ですけれど、やはり自分で自分の選択肢に満足・納得できる生き方ができないと、たとえどんなにいい仕事についても、親の期待にどんなに立派に応えても、結婚しても、子供を産んでも…

それが”自分で決めたことでない”のならば、結局辛いのは自分自身だと思うのです。

 

今はとてつもないスピードで世の中が変わっています。

20年も経てば、国の様相や社会は変わります。40代や50代、それ以上の世代の方とは感覚的に合わないと感じることも多いと思います。

 

”誰かの期待”を満たすために人は生きているわけではありません。

”誰かのやり方や価値観”を押し付けられるために生きているわけでもありません。

世界には様々な価値観があることを、私はCRプログラムの一年で学びました。

 

 

CRプログラムから帰国された後、進路や就職で悩んでいる人もたくさんいます。

「こうでもない、ああでもない、この道がいいかな、それともあっちかな…」

 

たくさん迷って、その中からたくさん試してみればいいと思います。

うまくいかなくても、たとえ倒れても、英気を養って、また立ち上がればいいと思います。

私もけっこうボッロボロになりましたけど、そうやって立ち上がってきましたし、これからもそうすると思います。

 

私は”どんな形でもいいから三味線と向き合う”こと、そして”自分が納得した生き方を全うする”ことに、自分の人生を捧げる価値があると思っています。

望んだキャリアを歩むこと、打ち込めることに打ち込むこと、目標を立てて歩み続けること…それらを経て、誰にも生きられない自分自身の人生を作る価値があると思うのです。

 

 

すごく長くなりましたし、仕事の話もあまりしていませんが、現時点の私の状況でした。

びっくりするぐらい参考になりませんけど、こういう仕事をしている人がこのブログの管理人です。

 

 

そして、今も

「これからCRプログラムに参加したいな」

「海外で働いてみたいな」

と思っている人の少しでも助けになればいいなあ…と思いながら書いています。

 

関連記事

 ★CRプログラムと年齢の話

www.hanae-cr.com

 

★人それぞれだと思いますが、実際に感じたこと

www.hanae-cr.com

 

★海外で演奏した記録

www.hanae-chiritote.com

 外部リンク…というよりも、こっちが本業のブログなんですけどね(^^;

*1:これに関しては良い面も悪い面もあると思うので、自分を押し殺すことや年長者の意見を大切にすることに意味はない!!!!とは思いません。

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